《説教要旨》 『天が開いている』                      大澤宣 牧師  

マタイによる福音書3章13~17節

 1月6日、公現日は、東方の占星術の学者たちがイエスを礼拝しにやってきたこと、また、イエスが洗礼を受けられたことを記念する日です。イエスは、バプテスマのヨハネから洗礼を受けられ、公生涯に入られました。ヨハネは、「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところに来られたのですか」と言いましたが、イエスは、「今は、止めないでほしい」と答えられました。これからすべてのことがわかるようになるからということなのかと思います。飼葉桶という貧しさの中に生まれられ、貧しさ、低さの中を歩み抜かれたイエスは、この世界のすべての人と友となることを示されました。

 今日、成人祝福礼拝をまもっています。新しい時代を生きていかれる方々の道は平坦なものではないかもしれません。その道を、神様と共に歩んでいかれることを信じて進んでいただきたいと思います。

 今週1月17日は、兵庫県南部地震から30年という時を迎えます。成人を迎えられる方々は生まれていませんでしたが、大きな出来事としてあることは申し上げるまでもありません。

 安克昌さんが書かれた『心の傷を癒すということ』という本があります。御自身も被災され、直後から診療、救護活動にあたって来られました。あまりにも被害が広範であったので、安全な地域は遠く離れていた、被災地には「無傷な救援者」など存在しなかったと言われます。壊れたものは壊れたものとして残るのでした。失われた命は失われた命として残るのでした。心に受けた傷は残り続けるのです。

 榎本保郎牧師が語られました。死別した肉親、失った親しい者が、再び自分のもとに「返される時」、これこそ主の再臨の時であり、新しい世の到来の時である。主イエスによって、わたしたちはこの希望の中に入れられているのである。

 イエスは、人の世の歩みの順調な時にも、不調な時にも、何ものも望み得ない時にも、決してそこから逃げ出すことをされません。どこまでも、この世の悲しみ、重荷を負われ、これを支え、共に歩まれるのです。私たちの歩みにいつもつながってくださるイエスの歩みであるということを、信じ、覚えていきたいと思います。

 イエスが洗礼を受けられた時、天がイエスに向かって開いたと書かれています。この世は八方塞がりかもしれませんが、天が開いているのです。さまざまな問題を抱え、行き詰まりを感じる時も、なお、天が開かれている歩みであることを覚えるものでありたいと願います。