《説教要旨》『共におられる神様』 大澤宣 牧師
マタイによる福音書1章18~25節
医師の山形謙二さんが、ある患者さんとの出会いを振り返られ、死に臨んで、なお望みについて語ることができるのはキリスト者の特権であると語れました。キリストの十字架の死と復活により、神様は私たちに天国の門を開いてくださいました。私たちの痛み、苦しみ、そして死さえも、それらは一時的なものにすぎないことを聖書は私たちに教えてくれているのです。
ヨセフにイエスの誕生が告げられた時、「恐れるな」と告げられました。恐れと不安の中にあって、なお希望を語り、喜びを語ることができること、それがキリスト者の特権です。キリストの歩まれた苦難の歩みを覚えながら、その死と復活が示す、まったき栄光が約束されているのです。
生まれるこどもの名はインマヌエルと呼ばれました。これは「神は我々と共におられる」という意味です。この名は、イザヤ書7章14節、8章8節に出てきます。神様御自身が、しるしとして与えられると約束された名前です。戸惑いの中にいたヨセフですが、夢を通して現実を受け止める力を与えられました。
哲学者アランが言います。「夢は極上の神託である。夢は心の中の神にもたとえられる。この神が現れないようにすることは不可能である。夢が何ものにもまさるのは、夢が他人から左右されることはないことだと、私は思う。このように、我々は夢によって、我々自身に問い、我々自身を助けるのである」。
私たちに夢が与えられるとき、私たちそれぞれの現実を積極的に受け止めていく力を与えられ、また、私たちとこの世界とが変えられていく力を与えられるのです。
アンジェイ・ワイダ監督の『コルチャック先生』という映画があります。第二次大戦下のポーランドに生きたコルチャックさんは、ユダヤ人のこどもたちと一緒に生活していました。やがて、コルチャックさんも、こどもたちも強制収容所に送られることになりました。
コルチャックさんが書いた本、『子供の尊厳について』は、後に国際連合で採択された「こどもの権利条約」の原案となって、現代に生きるものとなりました。このこどもたちの夢が、新しい世界を造っていく力を与えられたものであることを信じたいと思います。
今も困難な現実があります。しかし、なお、この現実の中に私たちは夢を与えられているのです。すべての望みが絶たれていくところ、そこにあってなお希望を語ることができる。私たちは、その特権を与えられているのです。イエス・キリストの御降誕、十字架を通して、私たちとどこまでも共にいてくださる神様の約束を信じてまいりたいと願います。