《説教要旨》『恐れなく委ねる』                大澤宣 牧師

マタイによる福音書10章28-33節

死に臨んで、これを大胆に見つめ、なおこれからを祈ることができる。信仰をもつ者の特権だと言えます。イエスは、「わたしを信じる者は、死んでも生きる」と語られました。この世に生まれること。この世を去ること。死ぬべき命を、なお有意義に生きること。生きていても、まるで死んでいるようであること。それは、人の力によって思いのままにできることではありません。

イエスは、命のことは神様だけにその支配が委ねられていること、それについて悩むのではなく、これを神様に委ねていくことによって、私たちがふさわしく働く力を与えられることを教えられました。

10月31日は宗教改革記念日です。1517年、マルティン・ルターがヴィッテンベルク城教会の扉に、当時ローマ教皇がドイツで発行していた贖宥状に関して「95か条の論題」を貼り付け、批判したことに始まりました。命のことで人を不安にさせて、言うことを聞かせるという、あってはならないことがあったのでした。冷静に命の尊厳を考えなければなりません。

イエスは、私たちが、神様のみ前で、恐れなく歩むように、委ねるべきことは委ねて歩むようにと教えられました。私たちそれぞれが、神様から命をあたえられたものであり、これを用いて一回限りの地上の命を歩むものです。その時、この世のものを恐れてばかりいて、不本意なままで終わることはふさわしくありません。恐れずに大胆であるようにと私たちそれぞれが励ましを与えられているのです。

二羽の雀が一アサリオンで売られている。その一羽さえ 、神様がお忘れになることはありません。雀は、当時の神殿でのささげものの中で、最も安価なささげものでした。そのような評価とは関係なく、神様は決して忘れられず、そのもの独自の値打ちがあると告げられるのです。

私たちは、何ができるか、できないか、そこで値打ちがはかられるのではありません。その人だけの値打ちがある。神様からおぼえられた大切な命であることを心に留めるものでありたいと思います。そのことを覚えて、お互いに向かい合うものでありたいと思います。