《信徒奨励要旨》

「失いかけた命で80年」                前田 稔さん

マタイによる福音書5 : 43~48

私は九州の小さな町に住んでいました。太平洋戦争が始まって半年も経っていない時期でしたが、軍国少年、少女の教育の場としての体裁は整っていました。近くの飛行場から飛び立った戦闘機が毎日のように小学校の校庭の上に飛んできては、翼を振って出撃していくようになりました。私たちはその格好よさに惹かれ、兵士になる気持ちを煽られたものです。

昭和20年に入る頃には、上空に現れるのは日の丸をつけた日本の戦闘機ではなくて、グラマンやロッキード等のアメリカ軍の戦闘機にとって代わられていました。小学校4年生になる直前の春休み。警戒警報が出たために、近所の友人たち数人と、防空壕へ避難することになりました。突然飛行機の爆音が聞こえました。1機のグラマン戦闘機がこちらをめがけて高度を下げてきているところでした。「伏せろ!」、私たちは両手で目と耳を塞ぎ、道の上に伏せました。爆音が消えたので、「通り過ぎたのか!」と思い、立ち上がった私の眼の前に現れたのは、エンジンを止めて、グライダーのように音を出さないまま滑空してきたグラマン戦闘機でした。その戦闘機のパイロットがこちらをしっかり見据えながら飛び去っていくのが目に入りました。ひとりの兵士の良識によって、私達は生きのびることができたのです。一人の少年と戦闘機のパイロットの間には、人間同士の存在を、その目で確認しあったという行動がありました。

その事件から4カ月あまりが過ぎた8月6日と9日には、広島市と長崎市に相次いで原子爆弾が投下されました。私は、原爆投下から8年が過ぎた時期に、1年間だけ広島市で過ごしました。原子爆弾による被害の酷さは、8年を過ぎてもしっかりと残されていました。

高度8000メートル上空となると、人影など見えるわけはありません。私達を攻撃しようとして接近してきた敵の兵士と、目を合わせるなどということは有り得ません。地上で起こる様々な地獄絵図がどのようなものであるのかなど、想像もしていなかったのかもしれません。

絶え間のない兵器の開発は、自分の行為で肉体を引き裂かれ苦しむ相手方の様子を見ることもなしに、大量殺人、破壊の行動を起こしうる方向に進んでいます。戦争についてもっと本気で考える必要があるのではないでしょうか。