《説教要旨》 「奇跡の始まりは、ほんのちょっとの信じる気持ちから」 岡本教会 栗原宏介 牧師

申命記15:7~11 ヨハネによる福音書6:1~13

今回の箇所には「五千人の給食の奇跡」と呼ばれるエピソードが描かれています。このエピソードは4つの福音書全てに記載されていますので、それだけ重要なことという位置付けなのでしょう。イエスの活動の核となること描かれているはずです。

そのひとつは誰とでも分け隔てなく食卓を囲んだということ。そこには二匹の魚と五つのパンしかなかったのですから、「みんなで食べるのは無理です。みんなの分を買うお金もないので、ここで解散します!」と言うこともできたはずです。実際に弟子たちはそうしようとしました。しかし主イエスはそうなさいませんでした。限られた物を選ばれた者だけで消費するということはせず、みんなで食べることを選択しました。これが一つ目の大事なこと。

もうひとつは、「ささやかな気持ち」を「大きな希望」へと変えられたことです。「ここに二匹の魚と五つのパンがあります」と差し出した少年の気持ちを「焼け石に水!」と一蹴するのではなく、しっかりと受け止めて奇跡を起こされたということ。ここに希望があります。私たちはともすると「これしかない」、「これだけでは無理」とほんのちょっとの気持ちを出し惜しみしてしまうことがあります。課題が大きければ大きいほどそういったことは頻繁に起こるような気がします。例えば「平和」ということについても当てはまると思います。こんなちょっとしたことでは「平和」という大きな出来事の一助にもならないと行動する前に諦めてしまいます。たしかに「平和」というテーマはあまりに壮大すぎます。争いが止まないこの世の現状を前にして、平和を希求することは極めて大切なことだと理解はしていても、なかなか行動に起こせません。こんなことが何の役に立つのかとついつい身を引いてしまいます。しかし、主イエスは私たちの「ほんのちょっとの信じる気持ち」に応えてくださるのです。この方ならば“たったこれだけの物”でもなんとかしてくださるのではないかという信じる気持ちを受け止めてくださるのです。むしろそのような行動を待っておられるのだと思います。主イエスの奇跡は、ほんのちょっとの信じる気持ちから始まるのです。

さて二匹の魚と五つのパン、たったこれだけ・・・。目の前には五千人以上の人々。みんなでご飯を食べましょう!って言われても・・・。でも!分かち合えば満たされるのです。そのことを主イエスはこの箇所で教えています。私たちが「たったこれしかない」と自分の手の内に留めておいて出し惜しみしていては何も始まらないのです。「ここに二匹の魚と五つのパンがあります」そう言える人になれたらいいなと思っています。