《説教要旨》 『永遠の命に至る食べ物』 大澤 宣 牧師

ヨハネによる福音書 6:22~27

この世で食べること。この世で服を着ること。この世で住まうこと。わたしたちのこの世での営みは、かけがえのないものであり、大切なものです。それとともに、フィリピの信徒への手紙3章でパウロが語りましたように、わたしたちの本国は天にあるのです。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを待っているのです。この世で食すること、着ること、住まうことのかけがえのなさを大切にしながら、わたしたちは、永遠の命につながれていることを覚えるものでありたいと思います。

主の祈りで、「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」と祈ります。神様の前で生きる「我ら」、すべての人が、毎日必要なものを与えられるようにとの祈りはたいへん重い祈りだと思います。

教会で、共に食するということで、聖餐式があります。聖餐式は、地上の教会で行われるだけでなく、天上の教会で、先達たちが永遠の命の糧にあずかっていることを想起する場だと思います。わたしたちは、どこにいても、どのような時も、イエス・キリストにあってつながれていることをおぼえたいと思います。

ヨハネ福音書6章27節に、神様は人の子を認証されたと書かれています。人の子とは、救い主という意味の言葉です。イエスは、生身の人間であり、人の悲しみに涙され、人の嘆きに憤られ、人の死を背負われ、もっとも悲惨な十字架の死を負われました。そのイエスが、救い主と認証されたのです。イエスの死によって、すべての死が滅ぼされ、すべての人に命が約束されるのです。

わたしたちの教会の源流の一人ともいうべき、伝道者賀川豊彦さんがおられます。コリントの信徒への手紙8章の言葉、「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです」という言葉に表される、豊かであった主イエスが貧しくなられ、主の貧しさゆえに世が豊かになったという救いの出来事を心に刻みながら、人と共に生きることをすすめていかれた方です。自分が与えられたものは、神様から与えられたものである。これをいかしながら生きたい。そう願われたのだと思います。

わたしたちは、神様から与えられた命を大切に生かしながら、自分が与えられたものは神様からの賜物であるとしていく生き方に命があることを思わされます。