++《説教要旨》 『舟は目指す地に』 大澤 宣 牧師

ヨハネによる福音書 6:16~21

7月第2主日は、日本基督教団の部落解放祈りの日とされています。1975年7月に行われた日本基督教団常議員会で、部落差別問題特別委員会の設置が決められ、部落解放の働きを進めることが決められたことを覚えて定められました。荒井献さんは、「この社会において差別者は実は被差別者によって生かされているのだ」と語っておられました。この世にあって、差別されたものとなられ、捨てられたものとなられ、十字架に死なれたキリストが、その栄光をもって私たちを生かしてくださっているのです。

ヨハネ福音書で、イエスの弟子たちは、ガリラヤ湖を渡ってカファルナウムに向かっていました。その途中で、嵐に出会ったということです。弟子たちは、恐れ、戸惑います。そして、その船にはイエスは乗っておられなかったのです。

船は、教会を象徴するシンボルの一つです。嵐に翻弄される弟子たちの姿は、彼らの伝道にかけた生涯を暗示する者であり、歴史を歩む教会の姿を暗示するものでした。嵐の中で、イエスの姿を直に見ることができないと思うような現実があります。私たちも、人生の中に嵐に遭うと思う時があるかもしれません。その時、驚きあわて、恐れます。主イエスの姿が見えないとうろたえます。

その時、イエスは、嵐にもまれ、行き悩む弟子たちの側に来られました。そして、弟子たちに、「恐れることはない」と言われながら、少し前を進んで行かれたのではなかったかと思います。私たちのすぐ側におられながら、なお私たちの行く手を指し示されるイエスの姿を思います。

ルイス・グリヤ宣教師という方がおられました。1948年に日本に来られ、部落差別の問題があることに出会われました。被差別部落の人たちと共に住まれ、子ども会、聖書研究会、英会話教室、相談室の働きをされました。ルイス・グリヤ宣教師は、教え導くというよりも、自分が学び仕えることを大切にされました。和歌山に赴任された時、「私たちと共に住み仕え骨を埋めるために来てください」と言われた、その通りの生涯を歩まれました。

人生の船旅の、どのような時にあっても、私たちは目指す地に向けられていることを覚えるものでありたいと思います。どのような時にあっても、イエス・キリストが「恐れることはない」と告げてくださることを信じ、平安を与えられるものでありたいと願います。