《説教要旨》 『イエスの言葉にとどまる』 大澤 宣 牧師
ヨハネによる福音書14:15~27
「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」ヨハネ福音書で、イエス・キリストは、そう語られました。イエスの約束は、神様だけが与えてくださる平和、この世の終わりにも、すべての人に与えられる、終末論的な平和です。どのような時にも、心を騒がせるな、おびえるなと言われるのです。
東神戸教会は、これまでの一年、春名康範牧師と共に、主のお守りの中で歩んでこられました。教会につらなられるお一人お一人が、祈りつつ歩んでこられました。この一年が守られましたことに感謝いたしますとともに、これからの時を豊かに導かれますようにとお祈りいたします。
ヨハネ福音書はキリスト者たちが困難にさらされていく中で書かれたと考えられています。その時に、イエスが十字架への道を進まれ、弟子たちを離れていかれる時に重ね合わせる思いでいたことと考えられます。しかし、その歩みは、途方に暮れながらも、それはイエスと共にある歩みであり、私たちはイエスの内にあり、イエスは私たちの内におられることを信じる歩みでした。
ペンテコステを迎える私たちです。主の復活に出会いながらも不安を抱いた弟子たちが、聖霊の働きを受けて、宣教の働きに進み出た出来事、教会が生まれたことを心に刻む時です。状況が良いから伝道ができるのではなく、困難な時代だからこそ、福音を伝える働きが求められるのです。
澤正彦牧師という方がおられます。教会に招かれた時、困難な病を負われ、途方に暮れる思いにさせられます。その時、神様の導きをいただき、教会の方々の祈りの中で支えられ、平安を与えられたのでした。聖霊の働きは、どのような時にも、私たちを支える力、変える力を持つのです。
「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。」箴言16・9にそう書かれています。幸いな時。困難な時。すべての時、イエスの御言葉にとどまり、守るものとされておりますことを信じて、これからの道を、希望をもって進みたいと願います。