《説教要旨》 『わたしにつながっていなさい』 大澤 宣 牧師
ヨハネによる福音書21:15~19
「俺たち、もう終わっちゃたのかなあ」。「バカヤロー、まだ始まっちゃいねえよ」。ある映画のラストシーンです。終わってしまったように見える時、もう希望が見えなくなった明日にも、実は何かの始まりが用意されているのです。
わたしたちは失敗した出来事をなかったことにすることはできません。過去は過去として消えるものではありません。そして、失敗したら、それでもう終わってしまう、だめになってしまうのではありません。それを見つめなおし、心に刻むことから、新しい出発があるのです。
ペトロは、復活のイエスから、三度、「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と問われました。それは、大祭司の庭で、イエスが連れていかれたとき、三度イエスを知らないと言ったことと無関係とは思えません。ペトロは、自分自身、過去を振り返り、自らに問わなければなりませんでした。それによって、赦され、新しくされて、「わたしの羊を飼いなさい」と、新たな使命を与えられていくのです。
阪田寛夫さんが『受けたもの伝えたいもの』という本の中で、戦時下の大阪で、各教会の中学生たちが集まり、合同礼拝を行っていたということを語っておられます。その中で、弱虫だった自分だったけれど、慰めを与えられ、なお受けたものを伝えるという宣教の働きを担ってこられたことを語っておられました。
弱さを持ち、過ちをおかすペトロに、そしてわたしたちに、イエスはたえず問いかけながら、そして招き、わたしたちを用いてイエスの御業をなしていかれるのです。この招きを受け止め、わたしたちそれぞれのなすべきことを、主の御業として誠実に受け止めてまいりたいと願います。