《説教要旨》 『復活の食卓』 大澤 宣 牧師
ヨハネによる福音書21:9~14
私たちが食事をすることは生きるためのエネルギーを補給するためだけのものではないのだと思います。神様の恵みとつながり、人がつながっていることを確かめるものではないかと思います。
戦国時代の武将で大友宗麟という人がいました。宣教師と接触し、利益を得ようとしていたのですが、キリスト教の教えにひかれるようになり積極的に活動を支えるようになりました。やがて、キリスト教の理想郷を作りたいと夢見るようになったのです。彼は病気のために亡くなり、夢はかないませんでしたが、宣教師との交流から生まれた文化は地域に根付く文化となっていきました。
ガリラヤ湖畔で、復活のイエスと弟子たちは共に食事をしました。これまでイエスと共に伝道の働きをしてきた弟子たちでしたが、イエスが捕らえられ、十字架に死なれる、復活されて弟子たちに姿を示されるという、いったい何が起こっているのかわからないような日々を送ってきたのでした。その弟子たちを、「朝の食事をしなさい」と食卓に招かれ、パンをとり、魚を取られました。それは、かつて5千人以上の人たちと共に食事をした出来事を思い起こさせたかもしれません。
イエスは、途方に暮れる弟子たちを復活の食卓へと招かれ、彼らを一つにされました。そして、あきらめることはない、誰にでも何かできることがあるということを教えられたのでした。
アメリカに、デビ―・ビバリーさんという人がおられます。「補助的栄養支援プログラム」を受けておられますが、これを受けるということに心が折れそうになっていました。けれども、神様は私にできることを与えてくださる、人々が関わり始める時何かが変わっていくと話していました。
これまでの歩みを振り返り、恵みの御手に支えられてきたことを思います。自分に何ができるのか戸惑うこともあるかもしれません。その私に、主が共にいてくださり、見守ってくださり、希望を与えてくださることを信じていきたいと願います。